天パの読書記録

ツイッター@masa_ramenで書ききれなかった長文の読書記録を投稿します。

『六番目の小夜子』恩田陸

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(ツイッターの#ホリメモでは2019年の13冊目です。)

 

進学高の高3生が、学校に伝わる「サヨコ伝説」というある種のゲームに翻弄される話。思春期に有りがちな集団心理を通して、学校という場所の特異性を洗い出した作品だと思いました。学校って、新陳代謝の中で永遠と一瞬が同居する不思議な場所だなぁと感じました。

 


ジャンルとしては僕の嫌いなホラー小説なんでしょうけど、怖いのに爽やかな感じで不思議でした。この爽やかさは同作者の『夜のピクニック』にも通じるものがあると感じました。登場人物たちの置かれた状況も、いずれも進学高の高校生というもので、早稲田大学出身の筆者が過去に体験したことが土台にあるのかもしれません。

 


恩田陸の小説を読むのは『夜のピクニック』『チョコレートコスモス』に続き3作目です。本作はこれらの作品と比べると、文章に贅肉がついている感じで、リズムも少し冗長な印象を受けました。そこへいくと、本作よりは前に挙げた2作の方が洗練されて切れ味が良かったように思います。

 


(以下、ややネタバレを含みます)

 


作中では文化祭の演劇として、暗闇の中で全校生徒が1フレーズずつセリフを回し読みするシーンがあります。読んでいるのはある少女(サヨコ)のたわいもない独白なのですが、学校に伝わる「サヨコ伝説」の恐怖が共有された集団心理は異様な緊張感で場を包み、ついにはある種の集団パニックを引き起こします。

 


このシーンを読んだとき真っ先に思い出したのは、中学生の時に同級生と遊んだ「コックリさん」です。思春期の不安定な感情の揺らめきが、同年代の同じような揺らめきと干渉して強めあい、さらに日常とは異なる状況が作り出す催眠術的な暗示によって膨れ上がり、ついには「見えるはずのないもの」まで見せてしまう。これは中高生に普遍的な、ひいては学校という場所の特異性に深く結びつくものだと思います。

 


学校の特異性という点で言えば、生徒たちが朗読したサヨコの独白の中には、この物語のメインテーマとも言える「時間」について、つまり「永遠」と「一瞬」についてのメッセージが込められていたように感じました。

 


学校というのは、新陳代謝の激しい場所です。生徒からすれば卒業する前や後の学校を知らないせいでいまいち実感が湧きにくい向きもありますが、ずっと居続ける学校の先生(本作でいう黒川)なんかから見れば学校というのは本当に不思議な場所だろうと思います。

 


僕個人の体験としては、B1から通っている大学の研究室で、当時B4だった先輩がつい先日M2を終えて卒業して、新しいB4が毎年入ってくるのを見るにつけ、なんだかもどかしい感情がどんよりと心の底の方に残るのを感じます。僕が今プログラムを走らせているパソコンは、代々先輩たちが使ってきたパソコンで、これから先も後輩たちが使っていくんだろうなぁとか(流石にパソコンはいつか壊れるけど)。

 


あるいは図書館で見つけた手垢びっしりな何十年も前の本の余白にある「?」って書き込みとか見ると、この本をものすごい数の先輩たちが読んで、「わかんねぇなぁ」って頭抱えながら「面白えなぁ」って感情を連綿と受け継いできたんだ、この本を手にとって同じ大学で同じような興奮を味わっていたんだっていう、すごく不思議な感慨を得ます。

 


まぁ僕の卑近な例は大した重みがないかもしれないですけど、歴史ある進学校なら本当に数えきれない生徒が、同年代の人たちと同じ場所に閉じ込められて一日中先生の話を聞き続けて、卒業生と同数の新入生が毎年なだれ込んできて、それがずっと繰り返されて、やっぱり考えれば考えるほど奇妙ですよね。そういう奇妙なサイクルが「永遠」に続きそうな場所でありながら、生徒たちの青春は「一瞬」の煌めきに過ぎないという、そんな美しい矛盾を一篇の小説に閉じ込めたのが本書だと感じました。

『絵はすぐに上手くならない』成冨ミヲリ

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(ツイッターの#ホリメモでは2019年の12冊目です。)

 

小・中学生の頃はノートにマンガの一コマを模写したり偉人の肖像画を模写したり、あるいは鉛筆で砂漠や山の絵、静物や動物の絵を描いたりしていたのだが、忙しくなるにつれゆっくり絵と向き合う余裕もやる気もなくなり、ついには才能の無さを言い訳にして逃げはじめ、気付けばすっかり縁遠い存在になっていた。それでも美術への憧憬が失われた訳ではなく、数式を書き連ねる横で突発的に落書きしてみたり、定期的に美術館に足を運んでみたり、あるいは大学の教養の授業で美術史を真剣に学んだりして自分の気持ちと折り合いをつけながらも、どこか思いを燻らせてはいた。そして先月春休みになって時間を持て余すほど与えられたので、じゃあもう一度絵を描いてみようか、という気持ちになった。

 


やるからにはちゃんと絵を「勉強」してみたい、そう思って手に取ったのが本書である。単に楽しむためではなく、上手くなるにはどういう練習があり得るのか。本書では目的に応じて必要とされるスキルが千差万別であることを指摘し、各目的ごとに要求される能力をレーダーチャートの形で具体的に提示している。今の時点で自分が持っているスキルを同様にレーダーチャート化する診断が記載されており、自分に向いた作業が分かったり、あるいは自分のやりたいこととのギャップを埋めるには具体的にどういう能力を向上させれば良いかが検討できる。そして各スキルを向上させるための具体的な練習方法が提示されている。

 


巻末には実際の生徒の体験談を基にしたエピソードも綴られており、先達の例は大いに参考になるだろう。また本文中では「独学よりも習いに行く方が良い」といった記述が散見され、これは「絵の練習の指南書としては身もふたもない意見だ」とする向きもあろうが、真理ならば仕方ない。かえってお為ごかしな嘘をついて安心させるよりも、正直に言及したことを好意的に受け止めるべきだと僕は思う。

 


全体を通して非常に論理的な文章が並んでおり、効率を重視して練習法を最適化するという目的を達成させるだけの説得力が感じられる。やはり、「大学の受験勉強などを経験した人が、同じセンスで効率的に画力を向上させたいときに読むべき本」といった感が強い。

 


P.S. 今のところ飽きずに描き続けられてます。pixivへの投稿が100件を超えました!(ほとんどが模写ですけど)

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『よくわかる文化人類学 第2版』綾部恒雄

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(ツイッターの#ホリメモでは2019年の9冊目です。)

 

理科大の「文化人類学」の講義で指定された教科書らしいのだが、ぼくは受講してないので独学した。

 


文化人類学で扱う広範なテーマを、それぞれ概略だけ簡潔に導入している。たとえば、家族制度、婚姻、人種差別、女性差別LGBT、言語と文化、政治、宗教などについて代表的あるいは先駆的な研究論文に触れつつ、世界各地のフィールドワークで得られた具体例を織混ぜながら論じている。

 


文化がここまで相対的だと、自分の当たり前が意味不明になってくるし、何が正解か分からなくなってくる。どれだけページをめくっても正解なんて書いてないし、なんならこの本は「正解なんてない」って言いたいんだろうし、読めば読むほど不安な気持ちになった。じゃあ何を信じればいいのかって考えた時に、ポリコレ棒で叩かれないように「郷に入っては郷に従う」のが合理的なんだろうと思うけど、でもそれってどこまでも「演劇っぽい」とも感じる。

 


そんなことを考えながら、この本を読んでいる途中で「グリーンブック」という映画を見た。黒人に対する人種差別が今以上におおっぴらに行われていた時代の物語なのだが、映画の中で印象的なシーンがある。主人公の黒人がレストランで食事をしたいと言ったことに対して、オーナーは「長年のしきたりなのでご遠慮ください」という表現で断った。このセリフには、差別問題が「文化か人権か」という側面を持っていることを示唆していると感じた。オーナーにとってこれはあくまで文化であって、必ずしも「ただの」人権侵害だとは自覚していないという可能性がある。もちろん人権を踏みにじるような行為を肯定する文化など許されるはずは無いのだが、当事者たちの認識を理解する上でこの本に書かれていたことが一つの可能性を提示してくれたのだ。本書p.124では女子割礼や夫婦別姓の例を挙げて、文化相対主義と人権侵害の摩擦を分かりやすく解説している。「郷に入っては郷に従え」だけで解決できない問題もあるのだ。

 


個人的には、有名な海外ドラマ『ウォーキングデッド』のシーンと照らし合わせて理解できる部分がいくつかあって興味深かった。(視聴率の良い大衆向けドラマでは、マジョリティに共感されるようなプロットになるのは自然だろう。)たとえば本文p.87では「黒人を性的モラルに欠けるとみなす白人社会の言説は多々ある」と記載されているが、これはシーズン2エピソード8、酒場で出会った黒人との会話シーンなどで見られる。また本文p.81で紹介されている「狩猟採集社会では男女間が対等になりやすい」という記述も、世界人口の多くが討伐すべきゾンビになった世界観と比較して考えると興味深い。

 


本書では複数の筆者がそれぞれの章を担当しているので、文章や観点に個性が見れる点も面白い。やや複雑な章もいくつか見られたが、全体的に(タイトル通り)「よくわかる」かつ面白かった。文化人類学を専門に学ぶ学生にとっては物足りない内容だろうが、「理系の学生が教養として学ぶ入門書としては優れている」と感じた。

『チョコレートコスモス』恩田陸

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(ツイッターの#ホリメモでは2019年の8冊目です。)

自意識のない天才が発掘される話です。軸となるのは二人の天才で、一人は演劇を始めて数ヶ月の飛鳥、もう一人は長年プロとして最前線で活躍する響子です。対照的でありながら、どこか近い存在として描かれています。それぞれが抱える悩みの「違い」が洗い出される一方で、舞台の上では二人にしか感じられない世界を「共有」する存在でもあるわけです。

 

自意識のない飛鳥は演劇の才能を持っているわけですが、演劇が「人の心を動かすためにある」という性質上、ある意味では「なんか凄ければ」なんでもアリです。最近イチローの引退が話題でしたが、彼のように血の滲むような積年の努力に耐えなくとも、生まれ持った才能によって全てをねじ伏せうる世界です。もちろん努力や経験によって固められたものが人を魅了する側面もあり、それはもう一人の天才である響子が物語っています。飛鳥には飛鳥の、響子には響子の良さがあり、それと表裏一体の危うさもあります。二人が出会った時、お互いがその天才性でもって相手に自分の問題点を気付かせる、という構図は美しかったです。

 

才能というのは周囲を否応なく飲み込んでしまうもので、その擾乱も見事に表現されています。特に、話の性質上感動や驚きを表現するシーンが頻出するわけですが、それを一つ一つ書き分けていて、それでいて深い描写なのは作者の天才性に他なりません。あとがきでは自分を「凡人」の一人に数えていましたが、自分の天才性を自覚できていない点は飛鳥と同じなんだなぁと気付き微笑ましくなりました。